かるちゃど・らぼ

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安倍総理の決め台詞、それは「悪魔の証明であります」

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昨日、何気なくテレビをつけたら国会の議論が流れていた。いつも通り、野党(民主党)が与党自民の揚げ足とりを行っていた。さらっとしか見ていないから、正確さには自信がないが、こんな感じのやり取りがなされていた。

 

 

野)週刊誌に取り上げられたことへの説明責任がある

 

安)「◯◯がある」ということは言った側に証明する義務がある。ない事をないと証明するのは「悪魔の証明」だ!

 

ガヤ)そーだ!そーだ!

 

(中略)

 

野)現在の税収は、リーマンショック前に時間とともに戻っただけじゃないですか!?このままでは財政状態は良くならない。

 

安)そんな認識だから、あなたたち民主党政権は1円たりとも財政回復できなかったんんじゃないんですか!?

 

 ガヤ)ぱちぱちぱち〜

 

 

 

 

僕は不勉強で、あの答弁が即興なのかそうでないのかはわからない。ただ、討論の中で「それは悪魔の証明であります」と言える安倍晋三、純粋にかっけえ。政治を見くびってたよ、ごめん。

 

しかしこの「悪魔の証明」というフレーズ、なんてクールなんだろう。僕の中二心がすごくウキウキしてくる。そもそも悪魔の証明とは一体なんなのだろうか?

 

どうやら調べてみると「悪魔の証明」とは消極的事実の証明、すなわち「〇〇していないこと」「〇〇でないこと」の証明が非常に難しく不可能に近いことから、このような言い回しをするのだという。割と当たり前のように使われる言葉みたいだ。

 

なんで悪魔の証明が大変なのか、しっくりこない人のために次のような例を紹介しておく。

 

 

2つの命題A・Bがある

A:僕の大学には1/1生まれの生徒がいる

B:僕の大学には1/1生まれの生徒がいない

 

Aの証明は簡単だ。生徒のうち誰かひとりでも「自分がそうだ」と言えばそこで証明ができる。しかし、Bの命題はそうはいかない。生徒全員の誕生日を調べなければいけないのである。つまり、悪魔の証明は非常に確認に手間がかかるのである。

 

 

この言葉を討論の中で、初めの例のように使用した安倍総理は、言った瞬間「キマったぜ」とでも思ったに違いない。週刊誌が「〇〇がある!〇〇が行われた!」と騒ぎ立てた場合、安倍総理が「〇〇はない。〇〇ではない。」と否定しても説得力に欠けてしまう。証明が困難なのである。そこで「それは悪魔の証明であるから、「〇〇がある」と主張された週刊誌側が事実を証明すべきなのだ」と言ったわけだ。なるほど。

 

もちろんいつでもこの戦法が通じるわけではない。「それは悪魔の証明だ」という指摘は、証明が出来ないということ・証明することが困難だということを自ら認めることにもなるからだ。

 

言葉、特にそれの持つインパクトや力が大きなフレーズを使う場合、使いどころ・タイミングが非常に重要になる。言い方やフレーズの選び方1つで結果が変わってくるし、揚げ足を取られるか否かも左右される。改めて、言霊というものの存在を感じた1シーンだった。