かるちゃど・らぼ

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【法政 英語 T日程】英語はクイズでもなく、言葉なんだ

どうやら法政大学T日程の入試で、英語の問題の難易度がぐんと上がってしまったらしい。twitterで「ほ」と打つだけで予測変換に「法政 英語」と出るくらいの話題だ。

全部長文だったみたいだ。しかも内容まとめによれば、

・ペンギンが頑張った話
・ドイツ人とユダヤ人と反ユダヤについて
・食料問題?

と、まあどの入試でもあるある「受験生の馴染みのない話題」が盛り込まれていたようだ。もちろん、クイズ好きみたいな知識豊富な受験生ならちょっとは聞いたことがある話題だったのかも知れない。問題を知らないので細かいところは何も言えないが・・・

どうしても受験勉強を通じてある種のゲーム感覚に陥ってしまった人は、試験という重圧に押される事もあり、余裕が無くなってしまうのではないだろうか?

今後の受験生の人生にとって説教垂れるのも偉そうではあるけれど、今回は道具は道具でしかないという話をしたい。耳が痛いかも知れない。自分も自分に言い聞かせるつもりで書こう。

これからも就職活動や資格試験などで、この「ゲーム感覚」が表れることがある。でも試されているのは高得点を取るためのテクニックではなく、道具を使いこなせるかどうかという熟練度だと思って欲しい。

特に今回は英語の試験。英語はそもそも試験のために生み出されたものではない。サルだった自分たちの先輩がもっと正確に早く情報を伝達するための道具として生まれた。

ということは、英語を使って情報を手に入れるor発信することがテストで問われる事になるのは当然だろう。あなたが文法問題を期待していたのなら、きっと法政大学が望むだけの英語使用の習熟度に到達していなかっただけだろう。

先ほど就職活動や資格試験を例に挙げたが、これは自分の反省もしたいところである。

就職活動はよく言われることだが入社することが目的ではなく、会社に入ってどうなりたいか、どうしたいかということを問われていると思う。それがないままコミュ力・ボランティア・サークル・勉強をアピールしたところで、入社の意志は汲み取るのが難しいだろう。すごい経験も大事だが、それが魅力的なあまりミスマッチになってしまう人も多くいる。

資格だって、堀江貴文氏も言っているが価値はあるのかと言われるとよく分からない。資格試験のための勉強ではなく、資格試験に受かる程度の「実力」を伸ばすという意識がいるように感じる。

道具を磨き続けるより、磨いた道具をどう使うか?そこを柔軟に考えられる人になりたい。もちろん磨くことを忘れても丸腰でアイデアだけ出す輩になるだけだが・・・

受験はまだ続くが、体調に気をつけて、少しでも将来の可能性を広げられるような結果を勝ち取ってほしい!