かるちゃど・らぼ

読ませる記事じゃなくて、自分で読み返したくなる記事を書いていけるようになりたいものだ

noteでケータイ小説をアップデートしてみたい

noteって本当ブロガー界隈流行っているね。

note.mu

 

今注目を浴びている理由、それはコンテンツの販売がワンストップでできることだろう。価格設定・有料記事範囲の指定・投稿するタイミングも自由。イケハヤさんも言ってる通り、まさに自分の手で生み出したものに価格がつくという体験ができる。自分のスキルや知識の価値がお金として可視化しやすい。

 

ただこれも多くの人が叫んでいるように現状では「先行者優位」first order advantageの旨味をかみしめる事ができるのは、既にプロとして看板を掲げて、その看板に信頼と実績が見える人に限られている。

 

ノウハウを売る

データを売る

 

上にあげたような記事がシェアされ、おもしろいと言われるのもわかる。だって儲かる!金が入るって言葉に耳貸さない人はそうそういないからね。

 

ブロガーたちのPV数変化と売上推移データが売れたり、サロンや講演会の原稿を売ったりするのは、もともとその内容に価値があるからという事を忘れてはいけない。

 

では逆に、文章力(のみはさすがに厳しいと思うが)でお金を生み出すにはどうすればいいのだろう?ノウハウはトライアンドエラーの賜物だったりするし、データも専門的知見から整理して初めて意味をなすものが多く、その加工には文章力以上の何かが必要になる。

 

自分という存在それすべてをアウトプットに込めて金に変える方法、それはきっとエンターテイメント性の強いものになる。非実用的で構わない。買ったら、見て・読んで・聴いて、幸せになったり楽しくなったりするコンテンツがいいと思う。

 

 

心を動かす

感動を呼ぶ

 

これを見て、自分はなぜかケータイ小説を思い出した。きっとフィクションで、誰が書いてるか分からないけど、その書き手が表現する世界に自分が入り込んで、共感し、反感をもち、嬉しくなったり悲しくなったり怒ったりする、そんな文章も書けるといいなと思ったりする。

 

今のところnoteも実験感覚で、スベってる記事から真面目に自分語りしてる記事まで色々書き続けている。よかったら見てみて。

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最後にnoteでできそうなこと羅列して終わる。

著作権フリー素材を撮って、売る

→BGM作り

→ファッションスナップ集

→小説系(フィクション)

 

どれかできるかな。どれかはしたいな。

 

 

民泊になびく客なら、別にとられてもいいと思ってるんだけど?

自分はまだ民泊童貞なんだが、友人は結構Airbnb使ってたりするから、それなりに普及してきているサービスなんだろう。

 

Airbnbが流行りだしたのは随分前のことのように思えるから、ウェブサービスとかにアンテナ張り巡らせてたら寿命も縮まるんじゃないかって思ってる。まぁそんなことはどうでもいいのだが、民泊!民泊!とオリンピックとかを前に議論はどんどん展開している。

headlines.yahoo.co.jp

 

以下抜粋

日本では現行の旅館業法上、宿泊業を営む場合に都道府県の許可が必要で、許可を取らないものは「違法」となる。昨年12月には京都市のマンションで許可なく「民泊」業を営んだとして、旅館業法違反容疑で業者が書類送検される事件も起きた。宿泊業界は、ホテルや旅館などには設備や衛生面で厳しい要件が課されているにもかかわらず、「民泊」だけがあらゆる規制の対象外になるのは危険だとして、政府の民泊推進の姿勢に反発してきた。

 

全然この問題のスペシャリストでもなんでもないけど、色々気になることとか、今後の想像とか考えが出てきたので、文字に起こしてみる。

 

◆自分の理解

民泊の問題点=法規制が甘い(不明確)

法規制があまいと次のようになる?

  1. 規制が緩い→誰でも始められる→事故・事件などの危険性UP
  2. 規制が緩い→安価でサービス提供可→客をとられた宿泊業界にダメージ

 

うーん。自分は1つ目は大問題だが、2つ目はそんなにでもないって思ってしまう。まあ、それは安いところに泊まりたいっていう消費者意識丸出しだからなんだろうけど。

 

 

◆誰でもはじめられる民泊業:事故・事件が起きたらどうすんの?

もし、本当にただのサラリーマンが民泊を募集して、そこで火災だったり衛生的な問題が発生したとしよう。その際、保険や裁判などでサラリーマンは「何も深堀りされてまずいところなんてない」と堂々と思えるだろうか?

 

設備環境が法の定めるものより大きく欠落がある場合、クレームにつながる恐れが十分にある。ノークレーム・ノーリターンという言葉が、募集の際に多く使われるのも、「クレームいれて保証させる」というリスクを防ぎたいという貸し手側の狙いだ。

 

もちろん、そんな物件は低評価がつけられて人気がなくなり、淘汰されるだろう。でも評価がまだされていない物件に飛び込んだ、勇敢な利用客は被害を被る事になる。もし、法で定められた基準を下回った設備や衛生環境のせいで悲惨な事故が発生したとしても、初めに泊まる利用者は防ぎようがないのである。

 

 

◆民泊になびく客なら、別にとられてもいいんじゃない?

完全にこれに関しては、自分が消費者・利用者目線から話していることをあらかじめわかっていただきたい。

 

そもそも客をとられる原因はなんなのだろうか?料金?施設?立地?それはきっと同業他社との戦いでも気にすべきところだろう。なんで新規参入にこれほど怯えなければならないのか?

 

だいたい民宿を営むためには、宿泊業界にバチバチと火花を飛ばしているだけでなく、他の民宿との戦いだって避けては通れない。だから民宿を展開しようとする側だって相当な努力が必要になってくる。そこは頭のよさで勝負してほしいところではある・・・

 

自分が、ここにいつか泊まってみたい!と思うようなAirbnbの物件は、北海道に2つほどある。

 

1つはヤギや牛や馬を飼っている方の元に泊まるというもの。畑仕事を体験したり、乳搾りをやってみたり、そういった体験を民泊のサービスとして抱き合わせている。

 

もう1つは完全に貸し手が自分で作った家に泊まるというもの。まるでジブリの世界に迷い込んでしまったのでは?と錯覚するような造りの家は、写真でみているだけでも感動する。

 

そういうユニークさが出せるなら、そこで勝負すればいいだろうし、価格で勝負できるなら消耗戦にはなるだろうが、そこで戦ってもいいんじゃないだろうか?安価で勝負をかけてきた民泊があったとしても、そこがギリギリの旅行者にとってはビジネスホテルという選択肢もなく、野宿する人だっているだろう。実際に見た事も結構ある。

 

さらに価格で勝負するといっても、最近のビジネスホテルなどはとても安い。先日自分は旅行でじゃらん経由でビジネスホテルを予約したのだが、そこそこ美味しい朝食付きで3200円だった。

 

◆本当の問題ってなによ?

こういう話はいつもごちゃごちゃしていて、よく分からないという人も多いのではないだろうか?本当の問題ってなによ?と自分で考えていく事が、深い理解につながるのは間違いない。自分だって全然詳しいわけではないけれど、調べたり、執筆していく過程でちょっとずつわかってくることもある。

 

読ませる記事じゃなくて、自分で読み返したくなる記事を書いていけるようになりたいものだ。

 

嫉妬深いパートナーとの同棲で気をつけるべき事

かるちゃどは現在、絶賛同棲中。最近はお互いする事もあまりなく、自由気ままに生活しているわけだが、こんなストレスフリーな暮らしをしていても、2人の間には喧嘩が起きることがある。

 

大体はお互いの生活圏にいる異性(指摘する側からすると同性)に関連して喧嘩が起きてしまう。最近はめっぽうそういった喧嘩は減ってきたが、これはお互いがルールを構築しあって居心地のいい空間を作り上げてるよう努力した結果だと思っている。

 

この努力の結果は、パートナーに同僚・上司や友人(どれも異性)の話題を出した途端機嫌が悪くなってしまってお困りのあなたたちへのアドバイスに価するかもしれない。といってもこのルールは全部でたったの3つ。きっと守ろうという気持ちになるだろう。

 

 

 ルール1:思い出話は二人の共通の体験を

ついつい自分が楽しかった思い出というのは、パートナーにシェアしてしまいたくなるもの。しかし、その気持ちが裏目にでることもある。

 

話す側としてはリアルに当時の光景が脳内再生されてとても楽しい気分を呼び起こせるが、聞き手には情報が不十分であることがほとんどだ。その思い出に異性がいれば、聞き手からすると「そんなに他の異性といるのが楽しかったんだ・・・」と考えてしまうのは簡単に想像できるだろう。

 

それを防ぐためには、自分とパートナー両方が鮮明に思い出せる事を話題に挙げるのが一番だ。一緒にいった場所について・一緒に食べたものについて・一緒に見た作品についてなど、これだけで話題に事欠くことなんてないのでは?と個人的には思う。

 

もしあなたが、何話せばいいんだろうかと悩んでしまうならば、それはきっとシェアしている体験の数が少ない証拠。むしろ話題は「〇〇してみない?」「〇〇行ってみない?」という提案にしたほうがいいだろう。ぜひ楽しいデートに行って欲しい。

 

 

ルール2:自慢は避ける

自慢されて快感を覚える人っているのだろうか?少なくとも自分はそういう類の人ではない。他人からの自慢は新たな発見につながることもあるが、大体が興味もなく、どうでもよく、時には「この人と価値観合わないんじゃね?」と疑念を抱く原因にすらなると思っている。

 

だからこそ自慢は避ける。男性に注意してほしいのが「自分は〇〇だ自慢」 。あなたが言葉で魅せるアナタ像ではなく、彼女が目で、耳で、鼻で感じたアナタこそ、彼女の想うアナタなのである。

自分に自信がないor自信過剰な男性にこういう「オレオレ話」は多い気がするが、いくら見栄っ張りでなく事実を話しているとしても、あまりお勧めはしない。

 

逆に女性に注意して欲しいのが、友達自慢である。「この子すっごいかわいい!」「めちゃ美人な友達がこの間・・・」といった類の話だ。男性からすると本当にどうでもいい話No1だろう。

むしろ女性に考えて欲しいのだけれど、そのせいであなたよりも話題に出した女性のほうを彼氏が好きになってしまったらどうするのだろう?「〇〇ちゃんはイケメンな彼氏さんいるから大丈夫!」という考え方なのだろうか?それはなんだか虚しくはないか?意識が他に向いただけで、あなたは実質的に「目移りされた」側になってしまうのだ。

 

 

ルール3:「二人でいる」時間の価値>1+1かどうかを自問自答する

たまに見るのがデートやランチ・ディナー中に自分のスマホを見て無言の時間を消費するカップル。もちろん自分も、自分のパートナーもそういう時期があったのだが、それがお互いの嫉妬深さに拍車をかけていることが分かり、このルールを作ることになった。

 

スマホで何かをしているということは、自分の中だけで作業を完結させているということである。それは二人の時間を1ずつ足して合計2の生産性しかない。二人協力することでもっと有意義に時間を使おうよ!という提案なのである。

 

ただ、別にこれは物理的に二人でいる時間中ずっと共同作業をしろ、ということではない。どういうことか説明していく。二人でいることに意味が有る時間のことを「二人でいる」と、ここでは表現している。たとえばお互い家にいる時、二人とも資格試験の勉強を行っているとする。この時、物理的に二人は同じ空間にいるが「二人でいる時間」ではない。

 

その後、勉強がひと段落ついて「休憩しようか?」という提案のもと、お菓子や飲み物を口にしている時間が生まれたとする。これが「二人でいる時間」である。この時間でお互い自分の休憩を満喫するのも悪くないが、それだと1+1=2の休憩だ。休憩時間にリラックスしながらコミュニケーションをしっかりと取り、次に勉強を続ける英気を養う時間。それがX>2となるような「二人でいる時間X」だと思っている。

 

なんだか小難しく書いてきたが、実際このルールに従って生活するようになってから、お互いストレスを以前より感じなくなってきたし、いい意味で相手を意識する当初の緊張感やドキドキ感も感じられている。

 

たった3つ、されど3つ。騙されたと思って試してみてはどうだろう?

【情報の価値って? vol.1】 オウンドメディア時代の想い

自分は以前オウンドメディア運営支援を行っていた。主な内容としては、メディアコンセプトの設計・ペルソナ設定・企画立案・執筆・編集・ディストリビューションなど。SEOまわりもちょびっと囓ったりしたが、メインはテクノロジー寄りではなくもっと柔らかい部分に触れていた。

 

その中で感じたのが、読み手から見てオウンドメディアが発信する情報はどんな価値があるのか?という事。今回はそこについて自分が持っていた思いを整理してみたいと思う。

 

オウンドメディアを立ち上げる目的として多いのが

 

  1. 潜在顧客に自社や自社製品への親近感UP(ブランディング
  2. 実際の商品購入など、コンバージョン率を上げる(売上直結)

 

以上の2つだと思う。もちろんそれ以外の目的で動いているメディアもあるが、今回は特に目立つこの2つを念頭に置いておく。

 

結構オウンドメディアの記事はネイティブ広告としてまとめサイトやキュレーションサイトに溶け込んでいることも多い。だが悲しい事に、ネイティブ広告の全部とは言わないまでもその多くがネイティブどころか露骨な広告記事になっている。結局スポンサーついた販促コンテンツか、乙。こんな感じ。

 

これが嫌になって、自分はオウンドメディア支援に魅力を持たなくなった。こんなんなら、自分が自由気ままに制約なく吐き出した文章のほうが、まだ読んでられるなと思う時だって多かった。もちろん、自分の文章がいいなんて思っていないし、ましてやお金になるとも思っていないけど。

 

もちろん色々な知識を手にいれる事ができた事には非常に感謝している。インプレッション増やすことの大切さなんて、特に身にしみたことの1つだ。これを世の中に出していいの?と思うようなクソ記事ですら、広告打ったらそれなりのPV数とリアクションが取れるってことも分かった。自由にやらせてもらえて、色々実験できた。

 

話がそれに逸れた。本題に戻る。

 

情報の価値って何なのか、一度考え直してみたい。そもそも情報自体に価値はあるのだろうか?ツイッターFacebook・ブログに始まりオウンドメディアや最近流行りのnote、有料メルマガやサロンといったようにオンラインでの情報の流し方は本当に様々だ。それらの情報の特徴とはなんなのだろうか?

 

ちょっと時間がかかりそうなので、連載することに決めた。ネット環境から離れるため、基本スマホからnoteの投稿のみを行う状態になると思う。次がいつになるかは分からないが、情報発信の方法について分類し、それを複数記事にわたって紹介していきたい。

 

 

 

安倍総理の決め台詞、それは「悪魔の証明であります」

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昨日、何気なくテレビをつけたら国会の議論が流れていた。いつも通り、野党(民主党)が与党自民の揚げ足とりを行っていた。さらっとしか見ていないから、正確さには自信がないが、こんな感じのやり取りがなされていた。

 

 

野)週刊誌に取り上げられたことへの説明責任がある

 

安)「◯◯がある」ということは言った側に証明する義務がある。ない事をないと証明するのは「悪魔の証明」だ!

 

ガヤ)そーだ!そーだ!

 

(中略)

 

野)現在の税収は、リーマンショック前に時間とともに戻っただけじゃないですか!?このままでは財政状態は良くならない。

 

安)そんな認識だから、あなたたち民主党政権は1円たりとも財政回復できなかったんんじゃないんですか!?

 

 ガヤ)ぱちぱちぱち〜

 

 

 

 

僕は不勉強で、あの答弁が即興なのかそうでないのかはわからない。ただ、討論の中で「それは悪魔の証明であります」と言える安倍晋三、純粋にかっけえ。政治を見くびってたよ、ごめん。

 

しかしこの「悪魔の証明」というフレーズ、なんてクールなんだろう。僕の中二心がすごくウキウキしてくる。そもそも悪魔の証明とは一体なんなのだろうか?

 

どうやら調べてみると「悪魔の証明」とは消極的事実の証明、すなわち「〇〇していないこと」「〇〇でないこと」の証明が非常に難しく不可能に近いことから、このような言い回しをするのだという。割と当たり前のように使われる言葉みたいだ。

 

なんで悪魔の証明が大変なのか、しっくりこない人のために次のような例を紹介しておく。

 

 

2つの命題A・Bがある

A:僕の大学には1/1生まれの生徒がいる

B:僕の大学には1/1生まれの生徒がいない

 

Aの証明は簡単だ。生徒のうち誰かひとりでも「自分がそうだ」と言えばそこで証明ができる。しかし、Bの命題はそうはいかない。生徒全員の誕生日を調べなければいけないのである。つまり、悪魔の証明は非常に確認に手間がかかるのである。

 

 

この言葉を討論の中で、初めの例のように使用した安倍総理は、言った瞬間「キマったぜ」とでも思ったに違いない。週刊誌が「〇〇がある!〇〇が行われた!」と騒ぎ立てた場合、安倍総理が「〇〇はない。〇〇ではない。」と否定しても説得力に欠けてしまう。証明が困難なのである。そこで「それは悪魔の証明であるから、「〇〇がある」と主張された週刊誌側が事実を証明すべきなのだ」と言ったわけだ。なるほど。

 

もちろんいつでもこの戦法が通じるわけではない。「それは悪魔の証明だ」という指摘は、証明が出来ないということ・証明することが困難だということを自ら認めることにもなるからだ。

 

言葉、特にそれの持つインパクトや力が大きなフレーズを使う場合、使いどころ・タイミングが非常に重要になる。言い方やフレーズの選び方1つで結果が変わってくるし、揚げ足を取られるか否かも左右される。改めて、言霊というものの存在を感じた1シーンだった。

 

 

 

ITに疎いママたちのティーパーティーはモバイルゾンビ

「LINEがさぁ・・・」

「LINEでね?」

「もう本当にLINEって・・・」

 

あなたがそんなにLINEを嫌っているのはわかったから、まぁ落ち着けって。

 

 今回の話は、スタバで子供を取り巻くネット環境について雑談を繰り広げていた教育ママたち(推定43歳)が実にITに疎い方たちだったというものだ。これが結構おもしろかったので、彼女たちの話を振り返ってみたいと思う。

 

 平日の昼過ぎ、僕はいつものようにスタバでカプチーノのショートを頼んで、充電が可能な席を陣取った。何気なくPCを開いて作業に取り掛かろうかと思っていたら、背後から例のママたちの会話が聞こえてきたのである。

 

 

もう本当に信じられない。いっつもLINEが、LINEが、ばっかりなのよ。なんか中には1日に100件以上のメッセージのやり取りしてる子もいるみたい。もうね、なんか信じられないわ。

 

 

 若者の感覚からしたら、100件なんて別に特筆する必要はだろう。そもそもどうやってその100件って数字は出てきたんだ?盛っているのか?たしかにこの手の人種は盛ることをライフワークにしていることが多い。1を聞いたら10にして他人に伝える。通常時の半沢も驚きの10倍返し。多分あなたたちのほうが大和田常務にとって強敵となることまちがいなしだ。2人集まればもう100倍返し、3人ならば1000倍返し、というようにママの人数が増えるほど話は収集がつかなくなるだろう。

 

 いや、もしかすると未読100件というLINEの表示を盗み見したのかもしれない。それならちょっと待ってほしい。多分ママはグループラインの存在を知らないのだ。例えば学校のクラスのラインがあったとしよう。1クラス40名程度だとすれば一人3メッセージ送るだけで120メッセージだ。ちょっと目を離した隙に未読が100件くらい溜まる事だって想定できる。

 

 もしくはLINE@かもしれない。好きな芸能人、お気に入りのメディア、行きつけのお店、それらのLINE@を読まずに放置しているために未読100件がたまっているのかも知れない。まぁ、要するに未読100件なんて大した事ないってことだ。

 

 そんなことを考えているうちに、LINEの話題は幕を閉じていた。僕は作業に戻ろうとしたのだが、それをする暇もなく、またツッコミたくなる話が聞こえてきた。

 

 

もううちの子もすぐに「通信制限だー」ってうるさいのよ。あれってなんなのかしらね?使いすぎ防止のオプションとかお父さんつけてたのかしら?

 

その通信制限のせいで、WiFiを探さないと落ち着かなくなっちゃってね?何かにつけてWiFiが、WiFiが、って騒ぐのよ。WiFiって赤外線通信みたいなやつよね?それ専用の電波届かないと使えないやつよね。

 

 

 なんか言いたい事はわかる。わかるけれどお父さんは通信制限を操れるほど権限はないし、WiFiは範囲が限定されているのは共通するにしても like 赤外線ではない。そもそも赤外線なんて言葉、もう死語なんじゃないだろうかと思うほど最近耳にしないため、一瞬

 

「セキガイセン?新しいアプリか何かか?」

 

とトンチンカンなことを考えてしまった。もう赤外線なんてしなくてもいいし、そもそも電話帳を交換することも稀になってしまった。あれ、自分もママたちがLINEを怖がる理由がなんとなくわかったきたような気がする。

 

 なんだか彼女たちの話を聞いていると、ITとりわけモバイル技術のスピードに駆逐されていく生ける屍、生きた化石・・・つまりモバイルゾンビになり果てた人間の姿を見ているような物悲しい気分になった。きっと10年後か、もしかするとそれより早く自分もモバイルゾンビになってしまうのだろうか?

 

 それだけ時間が過ぎれば、自分にも息子や娘がいるかもしれない。彼ら、彼女らの悩みに僕はどれだけ寄り添ってあげられるんだろう。「既読スルー」も「スタンプ」も死語になるのだろうか?それはまだ誰も知る事が出来ない近い未来の話なのである。